大好きな富良野でひと時の癒しを。
~力を抜いて、心も体もリラックス~
こんにちは。
オーナーの小原将太です。
「OMOTENASHI LODGE 悠遊」は空き家に
なっていた古民家を改装して作った場所です。
この場所は、僕の今までの経験がすべて詰まっ
ていて、訪れた方が親しみを感じる、人間らし
く生活できる場所になることを意識していつも
ゲストをお迎えしています。
生まれ育った町。両親が暮らす町。
のんびりしてて、あたたかくて、
充実した日々。
親しみやすさを大切にしているから、
自分自身もゆるくいられる。
一つ屋根の下
「なにか困ったことありませんか~」
「どこ行ってきたんですか~」
「よかったらごはん一緒にどうですか~」
って、
自然とコミュニケーションがうまれる
「Omotenashi lodge悠遊」
そんな思いでこの空間を作っています。
「ノリ」を大切にできるのは
大体のことを受け入れられるから。
なんやかんや、なんとでもなるから^^
ぼくにとって、今、最高に心地いい場所。
それがゲストのみなさんにとっても最高に
心地いい場所になりますように。
はじめまして、小原将太です。
僕は今、上富良野で自宅兼宿泊施設の「Omotenashi lodge 悠遊」のオーナーとして生活しています。
実は、数年前までは自分に自信が持てず、コミュニケーションも苦手だと思っていました。それが今では、はじめましてのゲストをお迎え・おもてなしする民泊のオーナー。自分でもびっくりするほど変わったと思います
どんなことが僕を変化させたのか、どんなふうにここまで進んできたのか、を少しお話ししてみようと思います。
僕は、上富良野町で高校卒業までを過ごしました。特に将来の夢もなく、安定を求めて公務員を目指し、郵便局員として利尻島での生活がスタートしました。
利尻島での生活は、初めての一人暮らし、豊かな自然、特に海には毎日と言っていいほど通い、魚を釣ったり、海に潜ったりと島暮らしを満喫していました。
でも、その反面、仕事はとてもきつく、想定外のノルマの厳しい営業業務に追われる日々。「人と話すのが苦手」「コミュニケーションは苦手」と思っていた僕は、営業に行くとすぐわかってしまったんです。
相手の雰囲気、声色。
だめだな、と感じると、営業トークもせず、「ですよね~」と言って帰ってしまうことも。
思い込みだったかも知れないけれど、喋りは苦手でも、察する能力はこのころからあったな~って思います。
このままでは心も身体もぼろぼろになると感じ、利尻島での生活は3年間で辞め、上富良野の実家に戻りました。
その後、まずは一人暮らしを始めようと思い、その為の資金作りにスキー場でのアルバイトを始めました。この「一冬のスキー場でのアルバイト」が、僕の人生を大きく変える経験となったのです。
大きくは3つ。
①外国人観光客との交流
上富良野に長く住んでいるのに、「こんなに外国人の人が来てたんだ~」と初めて知りました。当時、英語が話せなくてドキドキしていましたが、ボディランゲージや片言の英語で「意外と通じるな~」と楽しさを感じました。「仕事が楽しい」と感じた、人生初めての経験でした。
②行動力のある、ちょっとクレイジーな同僚たちとの出逢い
留学経験がある人、バイク旅をしている人、倉本聰好きが高じて富良野に移り住んできた人などなど、いままで出会ったこともないような行動力のある大人たちがそこには集まっていました。地元の人、そうでない人というのは関係なく、みんなが自分の人生を自由に楽しんでいる、そんなふうに感じました。
③コンプレックスが笑いに変わった
僕は吃音を持っていて、それがコンプレックスでもありました。でも、このコンプレックスが笑われていじり倒され、コミュニケーションのネタになっていたんです。馬鹿にされて笑われるわけではなく、「このコンプレックスも意外といいものだな」と思わせてくれる経験に!
この経験で僕は「楽に」なりました。
ずっと狭い世界で頑張って生きてきた人生に、外からさわやかな風が入ってきたように。
自分をちょっとだけ好きになれた。
ひろく物事を考えられるようにもなっていました。
楽になったから、今まで我慢していたり、辛かったりしたことを認められたのかも。
コミュニケーションが苦手だから、自分から人を遠ざけるような行動をしていたのに、「英語もっと話したい!」「海外に住んでみたい!」と思うようになっていました。
一人暮らしをどこでしようか、といろいろ考えていたのですが、スキー場で出会った先輩から「ワーキングホリデーでどこかいってみたら?」と言われたことがきっかけで、「オーストラリアに行きたい!」という大きな希望をもったのです。
このとき「オーストラリアに行く!」と決めて、人生が大きく動き出しました。
自分のことをちょっとだけ好きになれたことで、自分の感覚、直感を大切にできたんだと思います。自分でもすごい変化だと思う!
スキー場でのアルバイトは、偶然のようなものだったのかもしれない。
でも、オーストラリア行きは、
「自分で選んで決めて進んでいる」
そんな感覚がありました。
いっちゃえー!と思い立って滞在2年。経験を重ねてどんどん自分がたくましくなっていきました。
この2年間は、とにかく楽しかった!
数件の農家を転々とし、アスパラ・バナナ・スイカの収穫、羊の毛刈りや毛の処理などたくさんの農業体験をしました。また、住み込みということもあり、おしゃべり好きなお父さん、他の国からきている住み込みの人との交流、農作業中の子供たちのお世話、台風で壊れた小屋の修理までたくさんの生活の一部をお手伝いさせていただきました。
農家を離れ、都市部での生活も経験しました。住まいはネットで見つけた「ハウスシェア」。
タイヤを運ぶ仕事、ジャパニーズレストラン、ホテルのクリーナー、バーなどたくさんの仕事を経験。最後に就いたバーでの仕事は、日本人がいない初めての環境での雇用!このころには面接などの英語のやりとりもとくに問題なくこなせていて、英語力にも自信がついていました。
仕事以外の面では、とにかくみんなに顔をおぼえてもらおう!と、イングリッシュクラスやワーキングホリデーの仲間たちが集まる会に顔を出しまくりました。
相変わらず、話しかけるのは苦手だったけど、顔を覚えてもらって話しかけてもらえたらコミュニケーションはたくさんとれる!そんな思いでした。
Welcome☆のオーラを出してみんなの輪に入っていく。そんなことを繰り返していくうちに、知り合いも増え、少しずつ話せるように。たくさんの仲間ができました。とっても楽しかった。
話が弾むって楽しい、嬉しい♪
「コミュニケーションが好きだ」ってやっとみんなにも伝わって、自分自身でも認められて。
「自分、意外とできるじゃん☆」って自分を許せたのかな。
オーストラリアから帰る頃には「やればできる自分」「強くなった自分」をしっかり自覚していました。
海外で一人で仕事さがして、生活して2年間。
怖いと思うことも最初はあったけど、ずいぶん強くなった。
帰国後最初の冬にはスキー場のアルバイト。住まいははじめましての方とルームシェア。
もうこのころにはなんの抵抗もなかったんですよね~。
ルームシェア、ルームメイト募集の投稿を見つけて応募して。「こんにちは~よろしくお願いしまーす」って自然とコミュニケーションがとれる。
どんな人かな?自分はどう振る舞えばいいかな??
って堅苦しく考えず、
ありのまま、かっこつけず、自分らしく。
その場に溶けこんで楽しむ。
気軽に、程よく手放して進む。
そんなスタイルが、いつの間にか「僕」になっていました。
札幌のスキー場でのアルバイトを終えると、今度は登山への興味がわき、長野の山小屋で住み込みで働くことに。
山小屋は春~秋まで。冬はニセコのスキー場。といったようなサイクルで働き始めました。
興味が湧いた方へ、進んでいく人生。
いつの間にか、こんな充実した人生☆
あの時、富良野のスキー場アルバイトで出会った人々がきっかけで決めた「オーストラリア行き」。
英語を勉強したい!気持ちと、住むところを探していた僕にぴったりだった気軽に海外に住める「ワーキングホリデー」。
ピタッとはまって、ズバッと決められた、あの最初の決断が、ほんとにすべての始まりだったんだよな~。
次の冬は、カナダのウィスラー村へ。
昼はゲストハウスのクリーナー、夜はバーのキッチンで働く生活が始まりました。
生活の面では、さまざまな国の人と共同生活をする楽しみがありました!台湾人、メキシコ人、ドイツ人、フランス人、、
いつでもリビングから音楽が聞こえてくるし、帰宅するとすぐパーティーに誘われる。ノリのいいたくさんの人たちとともに生活しました。
でもやっぱり日本人のノリがちょうどよくて心地いいなと、僕は思ったり^^
違いを経験したことで、自分の心地良さを確かめられた。
外に行って、内を知る。そんな時間でした。
たくさんの「生活」を感じる1年間。
違い・違う価値観を経験して、違うことが当たり前の生活をして、僕が感じたことは
「みんな同じ人間だよ」
ってこと。
みんな「それぞれだな~」って。
この経験があって
大抵のことは「まぁまぁしゃーないね」って思えるようになって。
その受け入れる感覚が、どんどん広がっている気がします。
帰国後、半年程アルバイトしていて、また不意にきっかけがやってきます。
友人から空き家になった実家をどうするか、と相談を受け。
話しているうちに、「古民家を再生して宿をやる」「民泊として残す」という情報を見つけました。
これを見た時、海外でいろんな国の人とシェアハウスで暮らしていたことを思い出し、「楽しそう!」「あっ自分がこれをやりたい!」「今までの経験で全部できる!」とひらめいたのです!
ゲストハウスのクリーニングの仕事もしたことあるし、、
山小屋では宿泊の受付業務もしていた、、!
今までの経験、ぜんぶミックスして!
イメージできるぞ?できそうだな~♪
できそうだな♪とおもってからすぐに物件探しを開始。
チラシを3000枚作って、新聞に織り込んでもらい富良野中に配布しました。
ここでの行動力はここ数年で培ってきたもの。
なんの迷いもありませんでした。
物件を探し始めてから3か月。
今の物件に出会います。
一年と一ケ月をかけて、自らの手でリフォーム!
2021年7月 自宅 兼 宿泊施設「Omotenashi lodge悠遊」をオープンしました。
僕が、海外で見た「生活」の一部を体験できるような場所。
さまざまな目的で滞在される方が、たった一泊でも「住む」場所。
このゲストハウスで僕が大切にしていることは
「親しみやすさ」
です。
日常の生活の中に「緊張」や「堅苦しさ」は必要ないし、
ぼくもそういうのは好きじゃない^^
気を抜いて、肩ひじ張らずに過ごしてほしい。
そんな場所を作っています。
コミュニケーションが苦手、とおもっていた僕。肩ひじ張らず
気づけは、ずーっとだれかと共同生活をしていて、
仲間と暮らす、コミュニケーションの達人⁉になっているのかも。
もうコミュニケーションがこわい、と思うことはほんとに無いし、
話さなきゃ!と、おもって無理やり話すこともない。
ほんっとに自然に
目を合わせて、顔を合わせて話して、自然な距離感で生活する。
そんな時間をたくさんのゲストの方と過ごしています。
自分の周りの人が楽しんでくれたらいいな、って想いもとても大きいです。
数年前、一人暮らしをしたい!と思った自分が選んだのは「オーストラリア」だった。
地元、という選択肢は当時、無かったんです。
でも、たくさんの外の世界を知って、経験して。
今の僕が住む場所として選んだのは地元・上富良野町。
生まれ育った町。両親が暮らす町。
ここ上富良野町がベストでした。
僕が楽しそうにしていると、両親が幸せそうだから。
そんなことも感じながら、とっても充実した日々を過ごしています。
ゲストさんとコミュニケーションをとる時
深夜まで盛り上がる時
リピーターになって戻ってきてくれた時
ぜーんぶ、だれかにやらされるわけでもなく
やらねばならぬ、ということでもなく。
ぜんぶ、喜んでやっていること^^
僕がぼくとして肩ひじ張らずにやっていることだから
みんなに伝わって広がっていく。
のんびりしてて、あたたかくて、充実した日々。
親しみやすさを大切にしているから、自分自身もゆるくいられる。
一つ屋根の下
「なにか困ったことありませんか~」
「どこ行ってきたんですか~」
「よかったらごはん一緒にたべませんか~」
って、
自然とコミュニケーションがうまれる「Omotenashi lodge悠遊」
その場のノリで。
この空間を作っています。
「ノリ」を大切にできるのは
大体のことを受け入れられるから。
なんやかんや、なんとでもなるから^^
ぼくにとって、今、最高に心地いい場所。
それがゲストのみなさんにとっても最高に心地いい場所になりますように。